ここでは本音

誰も読まない前提の脳内排水ブログです

神格化するからがっかりする

僕は高校生のころ、教師という生き物が大嫌いだった。

 

自分よりできない人間が教壇に立っていることが許せなかった。

 

明らかに自分より理解が浅く、深い質問に答えてくれない人間が、なぜ自分に教える側にいるんだと憤りを感じていた。

 

その教師が担当する教科以外では、確実に自分の方ができる状態なのに、どうして担当教科すら圧倒的にエキスパートでいてくれないのかと。

 

今思えば、勝手に教師を神格化していた。

 

あるいは勝手な理想像でべき論を押し付けていた。

 

教える側の人間は完璧に理解しているべきで、どの生徒よりできなければいけないと。だってそれが仕事だろう?と。

 

でも教師も人間だ。普通の能力の人たちだ。

 

そんな突き詰めた人間しか教師になれないのなら、学校数は1/10以下になるだろうし、もっと高給取りになるだろう。

 

そんなに高みを目指したきゃ、独学でたどり着けばよいだけ。

 

独学で理解しきれない部分があるからと言って、他人に矛先を向けても仕方ない。

 

田舎では環境を選ぶ余地がないのだから、変えられない現実に怒りを抱いても、自分の心を焼き尽くすだけだ。

 

一方、しょせん教師にとって、授業は仕事でしかない。僕がいま行くのが死ぬほど嫌な仕事と一緒だ。

 

いまとなっては分かるが、高校生の時に"仕事"について想像が及ばないのは仕方ないだろう。

 

昔の僕にいまの僕が言えることがあるとすれば、

 

「まずは他人にやさしくしろ。厳しくするのは自分にだけでいいんだぞ。」

 

「上に立つものは、他人が自分と同じくらいできると思ってはいけない。」

 

「真に能力の高いものは誰からも教わることができない、誰かに教えを乞うことでしか成長できないのなら、一生二流。今のうちから自ら切り開く一流のやり方を身に着けるチャンスだ。」

 

といったところだろうか。

人間の魅力かあさましさか

結果が欲しいだけのプロセス無視虫

よく聞くセリフに「学生時代勉強しておけばよかった」というものがある。

 

おそらく含意はいくつかあって、もっとも広汎に使われているのは、「過去に努力していれば、今苦労せずに済んだのに」ということ。

 

僕の中の正論マンは「じゃあ今から勉強すればいいじゃん」と返す。

 

このセリフを吐く人は、今の記憶を継承したまま過去に戻ったところで、また同じように勉強しない、努力しない。

 

だってその面倒なプロセスを過去にしていれば(現在努力する苦しみは受け入れたくないが)、いまはもっと活躍できていたはず(結果だけは欲しい)。

 

って恥ずかしげもなく公言していることに気づいていないのだから。

 

このセリフはシリーズ化していて、異口同音に結果だけを求める人たちが口にする。

 

・病気になってから「もっと節制しておくべきだった」

 

・別れてから「もっと大切にしておくべきだった」

 

・ピンチになってから「もっと準備しておくべきだった」

 

枚挙にいとまがないのでこのあたりでやめておくが、共通しているのは事前に分かっていたはずなのに対策をしなかったという点だ。

 

正常性バイアスとも呼ばれる、「自分だけは大丈夫」という根拠のない思い込みが、後から自分たちを苦しめている。

 

勘違いは青天井

冒頭のセリフに戻るが、この「勉強しておけばよかった」というセリフを吐く人にはもうひとつ特徴がある。それもとても残念な。

 

それは勉強していればもっと高みに行けた、スキルが手に入った、とやってもないのに思い込んでいることだ。

 

あるいは、やったことがないからそう思えるのかもしれない。

 

自分の能力値上限が見上げればすぐ天井があるにもかかわらず、努力というブロックを積み上げればどこまでも高く登れると勘違いしている。

 

僕は地方の旧帝国大学と呼ばれる、そこそこの大学に進学した。

 

そこへの対抗意識として、「俺ももっと勉強していればなあ。(お前と同じくらいのところには行けたよ)」というセリフを引き出してしまうことが時々ある。

 

特に、自分はできると確信してやまない人間がよく使う。周囲にもそれを認めさせたくて必死なタイプだ。

 

申し訳ないが、これを言う人間はまったくもって想像力が足りていない。言われた時点で底が見える。

 

真実って目を背けたいよね

まず彼らの前提にあるのは、学歴のよい奴は昔から勉強しかしてきていないという偏見だ。

 

だから、もともと自分と同レベルだった奴が勉強だけして、進学校に進み、そこでまた勉強して良い大学に進んだだけなのだ、という風に解釈している。

 

ここで残酷な真実を一つ。

 

僕は中学のころ家で勉強したことがない。もちろん塾にも通ったことがない。むしろ宿題すらサボってばかりで、教師からは疎まれた。

 

でもテストの結果は学年1番。たしかに田舎の学校ではあったし、レベルが高い集団ではなかった。

 

それでも一学年200人以上はいて、中には家庭教師をつけていたり、県庁所在地のある都市まで塾に通っていた子もいた。

 

そんな子たちを横目に、なにもしていない僕が1番。こんなところに嘘を書いても仕方ない。

 

能力の差というのは中途半端な努力量では簡単に埋まらないらしい。理不尽だが、事実だ。

 

しかしさすがに高校生でも同じようにしていたら、今は母校となった大学に現役で不合格。浪人してようやく人並みに勉強を始めて翌年合格した。

 

田舎とはいえ、なんにも努力していない状態で1/200になる人間が、それなりに勉強してようやく行けるような大学なのだ。

 

翻って「勉強さえしていれば」という君たちは、どの程度の才能を持っていた?

 

本当に僕と同じ勉強量で、同じ景色が見えただろうか。自分たちがどれほど愚かしい目測をしているか気づいているかい?

 

よくバカにされる言い回しの「まだ本気出してないだけ」と同種のセリフだと思う。

 

君たちはすでに本気を出している、そこまで努力を積めない人間性も含めて君の本気だ。それ以上なんてない。何を自分に期待しているのだろうか。

 

いや、そうやって自分に期待して、思い込んだまま生きてゆける方が幸せなのかもしれない。

 

僕はつい真実であるか否かにフォーカスしてしまうが、幸せに生きるには多少の勘違いは歓迎すべきなのかもしれない。

魚エンジン④(終)

前のお話

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マイクロ脳珍虫

内燃機関のエンジンは、魚エンジンと違い、緻密な制御を必要とした。

 

燃料の爆発燃焼によりピストンの往復運動をさせるため、推進力に脈動が起こる。

 

坂道を自転車でこいでいるときに、ペダルを下に踏み込んだ時に一瞬加速して、すぐに下り坂方向への重力でスピードが落ちる感覚と同じだ。

 

これを避けるため、燃焼室となるシリンダー(筒)は、4~6連備えられるのが普通になった。

 

それぞれのタイミングを合わせたり、燃焼室の監視するシステムを作動させたり、とにかく内燃機関に代わってからは自動車の仕組みが大きく複雑化した。

 

それらを統合する存在が、マイクロ脳珍虫たちだ。

 

小指の爪ほどの大きさの黒い虫で、成虫になってから1年ほどの寿命を持つ。

 

羽を震わせたり、目の前のものを嚙んだりして、部品同士の信号伝達を担う役割で機械に埋め込まれることもあったし、監視センサーとして機能することもあった。

 

中国依存の自動車製造

マイクロ脳珍虫は、これまでも機器の中枢部に使われてきたが、内燃機関の登場により爆発的に需要が高まった。

 

彼らは世界中に分布するが、とくに中国に多く、個体数で言うと全世界の8割ほどが中国に生息している。

 

必然、自動車の核となる資源を手中に収めている中国は、世界での存在感を加速度的に肥大させていった。

 

新時代の必要条件ともいえる自動車。

 

これを製造するための資源が、一国に偏っているという事実が、世界の均衡を崩してしまった。

 

というのが1つ目の問題だ。

 

こんなの大したことはない、しょせん地球の上で人間という生き物だけが好き勝手に覇権争いをしているだけだ。

 

手段を選ばないとしっぺ返しも本気で来る

何より問題だったのは、マイクロ脳珍虫の捕獲に、大地をことごとく枯れさせる手法が用いられていたことだ。

 

この虫は川べりの草地を棲み処としていることが多く、なぜか塩を撒くと10分ほどで飛び立つ習性をもっている。

 

どうやら海岸に住んでいた時代の進化で獲得したもののようで、捕獲にはこの習性が利用された。

 

飛び立ったところを掃除機のようなもので吸い集めるのだが、前段の塩を撒くという行為がとんでもない悪影響を及ぼした。

 

この時多くの人類は、まだ"塩害"という言葉を知らなかった。

 

知らないからと言って、地球は許してくれない。

 

一度塩を撒かれた大地は、雑草1本さえも生えない荒野と化し、木々も草花も枯れ果てた。

 

枯れた地は自然と戻ることはなく、その影響は近くの田畑にまで深く及んだ。

 

さらに悪いことに、川の下流域にあるほかの地域、国々の川沿いまでが同じ運命をたどり、塩害は国境などお構いなく広域にわたって発現した。

 

流域に植物がなくなった川岸はもろくなり、雨が降るたび河川の氾濫が起きるようになった。

 

川の氾濫によって塩害はさらに広域に拡大し、ついには中国全土の30%が農耕不能の不毛な大地と化した。

 

流域下流の周辺国も似たような状況だった。

 

人類の繁栄は地球の衰退

私たちが生活の利便性を求める知恵は、豊かな社会を作ってきた。

 

と私は習ってきたし思い込んできた。

 

"豊か"ってどういう意味だろうか。複雑な機械を操って、建造物を作って、ほかの動物とは一線を画した人生を過ごすという意味だろうか。

 

命の危険を感じることなく生き、平均寿命が長くなったという意味だろうか。

 

そのために1日何時間も働き、100年前の人間が得る一生分の情報を1日で取り込み、日々忙しく競争しながら生きる。

 

そして地球に癒えない傷跡を残し、自分たちの身勝手のために他の動植物を蹂躙し、あまつさえ同種の人間同士で蹴落としあい、自分だけが得をしようとする。

 

これは、"豊か"な姿なのだろうか。

 

そんなのいらない。私は、峠を越えた先なんて知らなくていい。

 

生まれた漁村で、一生魚をとって暮らす。

 

サンマを食べずに何に使うって?

 

石油?そんな黒い泥どうするんだ。

 

思考力を進化させてしまった人間という動物、もっとも哀れな生き物なのかもしれない。

 

リンゴを食べた原罪への贖いが、いま私たちに課せられているのだろうか。

魚エンジン③

前のお話

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渾身のアイディア

私はあのころ「高校生ながら、すごいアイディアを思いついてしまった!!」と思っていた。

 

この世紀の大発見をうまく事業化できれば、世界の富の数パーセントを持てるのではないかと皮算用するくらいには。

 

そして20年後の現在、内燃機関の自動車は、内泳機関である魚エンジンを積んだ車を駆逐した。

 

みなさんご存じの通り、私の手によってではない。

 

だれか私の名前が世界長者番付に載っている世界線から来た人がいたら教えてください。

 

もしかしたら歴史の教科書に私の名が刻まれていたかもしれないんです。

 

むなしい心の叫びはさておき、私のような凡人が思いつくことは、すでにアンテナの高い大人たちが開発を始めていた。

 

のちに近代自動車の父と呼ばれるその人は、私がアイディアを思いついた1年後には実用化した商品を売り始めた。

 

世界の人々の目が疑いの色に満ちていたのも1ヶ月程度だっただろうか、まったく新たなエンジン機構-内燃機関-を載せた自動車は瞬く間に売れた。

 

新車価格で魚エンジンの車より5倍も高かったのにだ。

 

それもそのはず、新自動車は人間とともに人の夢も運んだのだった。人類初の峠越えはいともたやすく実現され、それまでの"不可能"は書き換わった。

 

なんと便利な内燃機関

石油(せきゆ)から精製した"ガソリン"を燃料とする自動車は、燃料の補給を容易にした。

 

生きたサンマと違って鮮度を気にする必要はないし、持ち運びもコンパクトだ。

 

サンマ10匹の航続距離1.4kmに対し、ガソリン1Lでは14kmも走った。

 

燃料タンクには20Lのガソリンが入り、携行缶に入れて1つ車に積めば片道280kmを不安なく走れる。

 

かたや生きた状態のサンマを積んだところで、鮮度が落ちて動力になるかわからず、5kmの道のりでさえ不安だった魚エンジン。

 

誰がどう見たって内泳機関の時代は終わりを告げた。

 

しかし新たな技術は、お友達として大きな問題も引き連れてきた。

 

【続く】

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前向きにとらえる努力

周りの環境に丸を付ける

漫画「ドラゴン桜」の中で紹介されていた心構えの一つだ。

 

今の僕に当てはめると、

 

■会社の給与が低いのは◎、現状を変えようという原動力が常に目の前にある。

 

■副業禁止なのは◎、目先の利益を追わず勉強に集中できる。

 

■車を手放さざるを得なかったのは◎、休日に出かけず勉強する選択肢が残りやすい。

 

■仕事が忙しいのは◎、理想の生活を手に入れた時の喜びになる。

 

といったところだろうか。

 

すべてが思い通りにいかなくて、自分の環境を嘆きたくなる時に思い出したい教訓だ。

 

いつもいつも、順調に進まないときほど、「転職してもっと良い環境に移った方が...」とか、「勉強していることが実らなかった場合のプランBも備えておくべきか...」とか余計なことを考える。

 

手厳しく指摘するなら、これらはすべて現実逃避だ。

 

とにかくやるべきことをやるしかない。やり始めたら結果が出るまで根気強く続けるしかない。

 

成功するまで続けていれば、失敗することはないのだから。

 

さあ、明日からまた地道に歩いていこう。

魚エンジン②

前のお話

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サンマはおいしい

かくいう私も港町の生まれで、18歳になる今日まで山間部には足を踏み入れたことがない。


地図上で地続きになっているのは知っているが、実感はまるでない。

 

内陸部というのは、ぽっかり穴が開いているかのように移動できないため、大陸や島の輪郭がそのまま有効領土と言っても良いだろう。

 

そのため金沢市に住む私にとって、名古屋市は直線距離では近いはずが、こと"移動"においては福岡市の方がよほど近い。

 

名古屋市を目指す場合、下関と大間どちらを回っていくのが近いのか、真面目に考えたこともない。

 

そんな大層な移動をするためにサンマを消費するくらいなら、家にずっといながら毎日新鮮なサンマを食べたい。


残念ながら内泳機関としてエンジンの中で泳ぎ、動力となったサンマは力尽きた後に食べても痩せ細ってしまい全然おいしくないのだ。

 

サンマは食べるためにいる-サンマにとってはどちらにしろ迷惑な話だが-私はその信念のもと、どうにか車を別のエネルギー源で動かすことができないか、頭をひねっていた。

 

内燃機関の登場

今の科学技術では内泳機関以外で車を長距離走行できた例はない。

 

だが高校3年間、その課題についてばかり考えていた私は、ついにヒントを手にする。

 

どうやら世の中には、石油(せきゆ)という燃えるドロドロの液体が、地下深く埋まっているらしいのだ。

 

しかもそれはサンマと違って逃げることもない。

 

一度みつけてしまえば、同じ場所から大量の石油が採れるのだ。

 

それを加工してサラサラの成分のみを取り出せば、危険なほどに一気に燃え上がる性質を持つ。

 

つまり火薬のように爆発的な衝撃を生み出すことができる。

 

そのうえ火薬と違って液体のため、安定的に燃焼室へ供給し続ける仕組みを作りやすい。

 

これで内泳機関に代わり、内燃機関が実現したら、サンマはもう人間の移動の犠牲にならずに済む!持続可能な世界は実現できる!!

 

私は確信した。

 

【続く】

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魚エンジン①

車はサンマで走ります

30年前まで、車に搭載されているのはすべて内泳機関、いわゆる魚エンジンだけだった。

 

駆動魚にはサンマが一般的に利用されていた。

 

当時は車は沿岸でしか走れない乗り物、というのが当たり前の認識。山間の奥地で魚切れになると、レッカー車で運ぶしかなく、莫大な利用料を取られた。

 

車の使用年数によっては、レッカー車を手配するくらいなら捨てたほうがマシ、とそのまま放置して自分だけはなんとか帰ってしまう人も多く、社会問題化するほどだった。

 

サンマ10匹につき1.4kmの走行。これが大衆車の平均的な航続距離。

 

山間部も走れるような元気のよい魚がいたらいいのに。

 

誰もがそう望んだが、回遊魚では大きさの割に距離が伸びず、マグロ1匹で2.6km/匹。同等の重量であるサンマ50匹の方が効率が良い。

 

駆動魚のスクリーニングには多くの企業が労力を割いたが、航続距離が長い魚は入手容易性の観点から実用化には至らなかった。

 

水揚げ漁港中心の街づくり

内泳機関の効率化と並行して、人々は海からの陸上交通網をいかに効率的に敷設するかに躍起になった。


やがて大きな漁港からは、トンネルや専用道路が直線的に伸び、その沿線に主要な都市や住宅地が発展していった。

 

大規模漁港同士をつなぐ沿岸部にも、小さな漁港が点在し、さながら旧街道の宿場町のように、魚の供給源とそこにかかわる街ができあがっていった。

 

日本に限らず先進国はどこも同じ様相で、産業や人口は沿岸地域に集中し、内陸との経済格差は広がる一方だった。

 

【続く】

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モーニングページの効能

モーニングページ、朝ではないけれど時々取り組んでいる。

 

起こったことを書く日記ではなく、思っていることを何でもよいからひたすらノートに書き続けること、と紹介されている。

 

これで脳内の汚水が排水されて、クリアな思考を手に入れるわけだ。

 

続けてみたところ、モヤモヤが少し晴れて、自分の中で処理しやすくなるという実感はある。

 

具体的には、考え事Aが脳内で30%のメモリを食っている状態が続いていたところ、ノートに書き綴ると5~10%まで軽減されるイメージだ。

 

なぜ効果があるのか。

 

モーニングページの本質は思考の釘付けだと思う。

 

人間の脳は次々と新しいことに気を取られる癖がある。これは本能であって、自分が何かしようとしているときに話しかけられると、何をするつもりだったか即座に忘れてしまうアレだ。

 

つまり何もせず一つの事柄について考えているだけだと、知らずのうちに雑念が入る。もしくは堂々巡りで同じことばかり考え続ける。

 

ところが"書く"という行為は、アタマの中で考えるよりもはるかに時間がかかる。いま考えていることについて"書く"ことをしている間は、ほかのことを考えられない。

 

考えているだけの時と違って、一つの事柄を数分から数十分集中して考えることになる。

 

そして同じことを書き続けていたら視覚的に気づくし、数秒前に考えたことは記録に残っているため、脳内議論がすすんでいきやすい。

 

こうして、"書く"ことがモヤモヤとしていた感情を整理し、結論めいたことにたどり着くことで、自分の中で処理方法や埋め立て場所が決まり、情報量が圧縮されるように感じる。

 

というのが僕の見解だ。

 

朝に書くのをおすすめされていたのは、一日を過ごした後だと日記になってしまうから、ということだった。

 

僕は夜書いても意識のことしか書かないし、なにより朝の貴重な時間を作業に使うのはもったいないので、昼休憩や夜に書くようにしている。

 

何かに行き詰まっているとき、イライラしているとき、取り組むのが億劫になる。だが、そんな時こそ積極的に活用し続けたいと思う。

仕事回らんティー24時

僕の仕事はタクシー会社の採用担当。

 

自分のタスク見直しを兼ねて、どの程度直接的な"採用業務"に時間を割いているか振り返りることにする。

 

この前、ひと月の応募者数がサッカーチーム2つ分くらいと書いた。

 

応募者一人につき、かかる平均時間を算出してみた。

 

■応募~面接 2h

⇒電話、初動メール、再アプローチ、日程調整、面接準備

■面接 1.5h

⇒未経験者なら1~2h、経験者なら1hってところだ。

■面接概評 1h

⇒これまでの経歴、健康状態、運転履歴、概評、懸念点、接客適性をまとめて報告。

■健康診断手配 1h

⇒応募者とクリニックの予定調整をして予約、応募者には詳細案内を送る

産業医判断手配 2h

⇒健診結果を産業医に送って判断を仰ぐ、同時に応募者には結果を伝え、治療項目やお薬手帳の提出を求める。

■入社書類渡し 2.5h

⇒内定者に連絡し来社を求める。内定者の属性に合わせて20を超える書類を用意し、1対1で内容説明を行う。このとき制服採寸も行う。

■自動車学校、制服手配 1.5h

⇒2種免許の合宿予約、制服注文

■入社書類受取 2h

⇒入社書類がそろっているか確認する、9割不備があるため再対応が必要となる。

■採用発議 3h

⇒入社書類をそろえたうえで、採用について上申する。上長印をもらった後に、書類をコピーし各部署に入社者書類を配布する。

■入社対応 1h

⇒アルコールチェックや血圧測定の仕方を教え、労働契約書を取り交わす。

■乗務開始手続き 2h

⇒乗務員カードの作成をしたり、無線名簿登録の依頼をしたりする。

 

ざっと計算すると17.5h。

とはいえ入社まで至るのは今月で言うと5人程度。つまり17.5h*5=97.5h

 

面接まで実施すれば4.5h、連絡はすれど面接までたどり着かなければ2h程度。

前者を10人、後者をを10人とすると、それぞれ45h+20h=65h

 

つまり応募者の対応だけで僕は月間162.5hも費やしている。

8hで割り返すと、20日間。

 

僕の仕事の体感として、応募者対応が半分、それ以外(応募者データ管理、入社スケジュール案作成、求人広告、借上社宅管理、請求書処理、制服定期支給、転職フェア参加)が半分だ。

 

すなわち、僕の仕事をこなそうとすると40日間*8hの労働が月間で必要になる。こんなの無理に決まっているじゃないか。

 

まとめていてバカバカしくなった。毎日「早く帰れ」と言われる。なんで定時で帰らないんだと。

 

転職しよ。

続けるも辞めるも悪手

会社を辞めたいときってどんな時だろうか。

・残業が多くて自分の時間がないとき?

・生きるために働いているはずが、働くために生きていると感じるとき?

・上司や同僚との関係に耐えがたいとき?

・この職場にいたらダメになると感じたとき?

・給与が安くてやっていけないとき?

 

様々あるだろうが、たいていの場合現状に不満があるからではないだろうか。

 

計画的にキャリアアップを目指している人は別だと思うが、そういう人はいわゆるハイキャリアと呼ばれる少数派だ。

 

僕は今、とっても会社を辞めたい。

 

1. 勉強する時間が取れると思ったが、精神的に削られて余裕がない。

2. 年収300万円未満、採用担当で多忙、上司が無能で無理解。

 

1に関して言えば、転職時の想定が甘かったと言えばそうかもしれない。

 

最初はきちんと勉強する時間が取れていた。毎日。

 

そうできなくなったのは、増員して余計に教育の時間が増えたからだ。

 

そのことを上申しても、バ課長はせっかく増員したんだからうまく使えというだけ。

 

適材適所という言葉をご存じない?あ、自分がノースキルなためできる側の人間の意見が理解できないのか。実務内容も知らないから、どれだけ不適当な人間を当て込んだもわかっていない。

 

2に関しては分かっていたが、勉強時間の確保を最優先にした結果だった。

 

それさえ満たせれば他は不遇でもよかったのだ。しかし前提が崩れてしまった。

 

退職金制度もないし、ボーナスだって雀の涙。

 

辞める時期について考える必要もないし、さっさと去ってしまった方が人生にプラスではないかと思う。

 

次どこへ行ったらよいのか、それが問題だ...。

 

時間の確保、業務で精神力を削られないことを最優先にするならば、派遣社員という形もありかと考え始めている。

 

34歳で妻がいるとはいえ、子供は作るつもりがない。フットワークは軽い方だろう。

 

企業側として転職フェアなんかに参加すると、他企業の話を聞きに行きたくなる。

 

僕はもともと頑張るための精神エネルギーが少ない。このわずかなエネルギーを節約して安定収入を得つつ、勉強してはやく経済的自由を手に入れたいのだ。

 

組織の中で生き続ける選択肢を完全につぶしてよいのなら、派遣という道もありだろうが、後戻りができないのが判断を鈍らせる。

 

人生の岐路、とはよく言うけど、どの瞬間も岐路になり得るのだなと思う。